引退についての名言・語録17件
「懸命に働いている者は、決して歳をとるということはない。私は、自分の葬式の日をもって、人生からの引退の日とする」
エジソン(発明王)
「過ぎたことを振り返るようになったら引退したほうがいい」
森英恵(服飾デザイナー)
「引退は命が終わるまで」
三田佳子(女優)
「諦めない。この熱い炎のような情熱が身体のどこを押しても湧いてこなくなったらその時こそレースから身を引く」
吉村秀雄(ヨシムラジャパン創業者)
「三塁ベースはぼくの恋人です。それが守れなくなったら、潔く引退します」
長嶋茂雄(ミスタープロ野球)
「変える必要もないし、変えられない、あるいは変えるのが億劫だということになったら、そのときは僕が引退するときだ。変えられる間はまだ頑張れる」
羽生善治(棋士7冠王)
「数字のことを喜んで話すのは引退してからだ」
ケン・グリフィ・ジュニアプ(メジャーリーガー・打者)
「なぜ引退しないのですかと聞かれたら、私はこう答える。『錆びつくより、擦り切れる方がましだ』。じっとしていて錆びつくより、身を粉にしている方が好きなんだ」
カーネル・サンダース(ケンタッキー・フライド・チキン創業者)
「生涯この初心を忘れずにすごせば、引退の舞も上達一途のうちに舞うことができ、最後まで能には退歩ということがないはずだ。だから、能の行き止まりを見せることなく生涯を終えることを我が観世座流の奥義とし、子々孫々家訓として守るべき秘伝とする」
世阿弥(室町時代初期の猿楽師)
「周囲からは引退しろと散々言われました。でも、僕は子供のころから何かで負けたまま引き下がるのが大嫌いなんです。それに、人から言われて決めたのでは自分の人生ではなくなってしまうじゃないですか」
山本博(アーチェリー)
「ずっと世界一を目標に空手を続けてきたので、それを達成したときの感動はこの先二度と味わうことはないだろうと思えるものでした。選手としてやるべきことはやりきったという気持ちから、大会の翌年に引退を決めました」
宇佐美里香(女性空手家)
「アテネ五輪以降、五輪に出場できず、『野村、最近、見なくなったな』『絶頂期に引退すればよかったのに』『晩節を汚す』」などという声もあるかもしれません。でも、それは周りの意見や評価であり、大事なのは、『やりたい』『続けたいと思えるか』という自分の本心です」
野村忠宏(柔道五輪金メダリスト)
「役者に引退はありません。なぜ引退がないかというと、その年なりの役があるからです。だからみんな長生きしようと思うけれど、大体、引退しようと思っている手前で亡くなってしまうんです」
仲代達矢(俳優)
「もし僕が、すべての店を回って何も気づかなかったら、これはもう、即引退。辞めた方がいいです。それではこれ以上事業も伸びないし、経営も伸びない。そういうことです」
浅野秀則(ピザーラ創業者)
「たとえ今は若くても、経営者たるもの、やはりいつか引退することを念頭に置いて生きなければいけません。まして創業者は、退くと影響が大きい」
梅原勝彦(エーワン精密創業者)
「アメリカ人は引退したあと投資家になって資産運用をしている人が多い。フランス人やイタリア人は、若いころから「早く年金生活に入って、田舎で農家でもやりたいよ」といっていて。実際に引退したら田舎でのんびり暮らしています。これは民族性の違いというほかないでしょう」
二村俊一郎(テック・グローバル社長)
「引退する時期は、本来なら自分で決めた方がいいのです。多くの人は会社から通告される『定年を迎える日』によって、引退を機械的に迫られます。これがよくないのです。最近、定年退職を控えた人のカウンセリングが流行っているといいます。『定年=引退』と決めている人ほど、その後の人生を上手くマネジメントできず、精神的に不安定になってしまうそうです。そうならないためにも、組織を離れる時期は自分で決める、定年で離れるにしても、その後のプランをしっかり描いておくことです」
倉重英樹(シグマクシス創業者)
森英恵(もり・はなえ)略歴・経歴(プロフィール)
日本の女性ファッションデザイナーである。地域経済総合研究所評議員。森英恵ファッション文化財団理事長。1926年1月8日生まれ。島根県鹿足郡六日市町(現・吉賀町)出身。東京女子大学卒業
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朝顔についての語録2件
「朝顔は夏の朝、なぜ可憐な花を咲かせるのか
日光や水のお陰だけではない
暗い闇と夜の冷たさがあるからだ
闇があるから光がある。そして闇から出てきた人こそ、一番本当に光の有難さが分かる
朝の来ない夜はない
夜明け前が一番暗い
やまない雨はない
雲や嵐がなければ、いかなる虹もありえない
今に見ていろ時が来る」作者不明
「正直に言えば、若いころは世界一周をもっと簡単にできるものだと考えていました。でも朝顔だって、種を蒔いた翌日にすぐ芽は出ませんよね。ともすれば、人間はすぐ結果を欲しがりますが、『時』が来なければ芽は出ないし花は咲かない、それが自然の理(ことわり)なのです」
白石康次郎(海洋冒険家)
白石康次郎(しらいし・こうじろう)略歴・経歴(プロフィール)
日本の海洋冒険家。ヨットで単独世界1周を何度も経験している。1967年5月8日生まれ。東京都出身。著書:『七つの海を越えて:史上最年少ヨット単独無寄港世界一周』『人生で大切なことは海の上で学んだ:壁はある。それでも夢はかなう』など
謝罪についての名言・語録11件
「謝罪で何より大事なのは、初動を急ぐこと。人の怒りは放置すると、どんどん膨らんでいきます。ガス抜きは早ければ早いほどいい」
間川清(弁護士)
「どんな内容でも、クレームを受けたらまず謝罪するのが鉄則です。これができない人が意外と多い」
津田卓也(コンサルタント)
「認識不足による失言の場合、傷ついた相手の心に届く謝罪の言葉を誠心誠意に述べるのが一番の解決策です」
田中辰巳(危機管理コンサルタント)
「私は、面倒な謝罪の電話、トラブル処理の会議などは、さっさと片づけてしまうことにしています。それらを未解決のままに先延ばしにしていると、イヤな思いをしている時間がそれだけ長くなって、そのせいで、楽しく生産的にやれるはずの仕事にも悪い影響がでてきますから」
ジャッキー・ワード(米国ソフト会社の女性社長)
「謝罪という行為は 辛ければ辛いほどその価値を増す・・・!」
兵藤和尊
「謝罪会見の内容を正しく伝えるには、服装や会場設営といったテクニカルな問題を蔑ろにすべきではない。しかし、根底に『苦悩』と『誠実さ』がない謝罪会見は、人の心を動かさない。残念ながらこのふたつは、会見マニュアルで演出できるものではない」
中島茂(弁護士)
「無条件に謝罪をしてしまうと罪を認めたものと受け取られてしまうのではないかという懸念は、わからなくはない。しかし、訴訟社会の米国でさえ、多くの州法が謝罪しただけでは罪を認めたことにはならないと規定している(アイムソーリー法)。特に犠牲者が存在する場合は、弁明よりも心からの哀悼の意を優先させるべきである」
中島茂(弁護士)
「謝罪するときは、相手の怒りを逸らしたり、頭を下げる時間を短くするテクニックも必要かもしれませんが、できれば信頼を築き、後々の仕事に繋げることこそ目指したいものです。ミスは必ず起きるもの。謝りにいくのは一石何鳥にも値するようなチャンスだと、役職者は張り切って謝りにいってほしいですね。部下からの信頼も得られます」
石原壮一郎(コラムニスト)
「心から謝罪する気がない人は、『なんで俺が謝るんだ』『本当は仕事がデキる人間なんだぞ』と反発心が先走ってしまう。要は、謝るのが悔しいのだ。その言い方や態度が相手を不快にさせていることにはまるで気がつかない」
福田健(話し方研究所会長)
「謝罪では、相手の怒りをすべて吐き出させることが何より大事です。怒っている人は、とにかく怒りの感情を誰かにぶつけたいと思っています。感情が落ち着くまでは、謝ろうにもこちらの言うことを聞いてくれない場合が多い。ですから、まずは怒りを吐き出させるために、相手の話を最後まで聞いてください」
古谷治子(CSコンサルタント)
「謝罪は、絶対に形式的・建前的・マニュアル的になってはいけません。そんな謝罪は心や姿勢の問題であることを知らない者がすることで、そうした行為からは、相手の心を溶かすだけの誠意や謙虚さがにじみ出てくるはずがありません。コップ一杯の水の中にも人間の心が入っているかいないかは、一瞬にしてわかるものなのです」
高井伸夫(弁護士)
ジャッキー・ワード略歴・経歴(プロフィール)
アメリカのソフト会社コンピューター・ジェネレーション社の女性社長
花崗岩についての名言・語録3件
「同じ花崗岩のかたまりも、弱い人にとっては、道の障害物になる。しかし、強い人にとっては、道に置かれた踏み台となる」
トーマス・カーライル(歴史家)
「運命は花崗岩よりも堅固だが、人間の良心は運命よりも堅固である」
ヴィクトル・ユーゴー(作家・政治家)
「建築というこの花崗岩(かこうがん)の書物は、古代東方諸国によって書きはじめられ、古代ギリシア=ローマによって受け継がれ、中世がその最後のページを書きこんだのである」
『ノートルダム・ド・パリ』ヴィクトル・ユーゴーの小説
ヴィクトール=マリー・ユゴー経歴(プロフィール)
【1802年~1885年】フランス・ロマン主義の作家、詩人、小説家。七月王政時代からフランス第二共和政時代の政治家。フランス東部のブザンソン生まれ。1959年~1965年まで発行されていた5フラン紙幣に肖像画として採用された
天ぷらについての名言・語録5件
「天ぷらはシンプルな料理ですが、日本料理は現代フランス料理に負けない、いやもっと深い歴史がある。そこを日本人がきちっと見てほしい。『日本人は自分たちの文化に自信を持て!』と、言いたいです」
早乙女哲哉(天ぷら職人)
「天ぷらとはお客との勝負」
早乙女哲哉(天ぷら職人)
「天ぷらを揚げるのには油を170℃にし、3分もあれば、うまい海老天が揚がる。40℃の油に10時間海老を入れたって、天ぷらにあらず。君の努力は40℃」
森下篤史(テンポバスターズの創業者)
「一人前になるにはとにかく時間がかかる。俺がよく行く銀座の『天一』という天ぷら屋じゃ、客前で天ぷらを揚げられるようになるまで20年といっていたが、ものをつくるっていうのは、なんだってそれくらいかかるのが当たり前なんだ。その辛抱ができないようじゃ、どの世界でも一流なんかになれっこない」
岡野雅行(岡野工業代表)
「私たちは幸せがほしいんですよ。けど幸せっていうのは、 実際に来てから『幸せだな』って感じるものじゃないんですね。おそば屋さんに入って天ぷらそばを注文するのと一緒で、幸せも自分から注文しないとダメなんです」
佐藤優樹(モーニング娘の第10期)
略歴・経歴(プロフィール)
■岡野雅行(おかの・まさゆき)
日本の技術者、経営者。世界最先端技術を生み出す町工場として有名な岡野工業の代表社員(社長)。1933年、東京都墨田区生まれ。向島更正国民学校卒、旧制西部高等学校中退。家業の金型工場を手伝うかたわら、独学でプレス加工技術を習得。世界で初めて痛くない注射針を作る。携帯電話の小型化に貢献したリチウムイオン電池ケースなどを開発。高い技術力を買われ、国内一流企業のみならず、NASAや米国国防省からも仕事が持ち込まれ
伸び悩んだ時の名言・語録7件
「プロダクトの改善を重ねるのは当然ですが、どうしても途中で伸び悩む時期が出てくる。そういう時には根本的に仕組みを見直す打開策が必要です」
藤田晋(サイバーエージェント創業者)
「野球選手は、高校時代にスーパースターだったとか成功体験をしてプロに入ってくる選手が多くいます。そういう選手は、どうしてもそのときのことが忘れられず、変化することを怖がって伸び悩む人が多いんです」
古田敦也(プロ野球・捕手)
「医療分野で、人工腎臓透析器の販売が伸び悩むという課題を抱えている時期がありました。担当者は病院を攻略するためにいくつもの対策を出してくるのですが、どれも説得力がない。そこで、『既に買ってくれた病院に行って、その理由を聞いてこい』との指示を出したところ、事実の徹底究明からヒントをつかみ、販売を伸ばすことに成功しました」
日覺昭廣(東レ社長)
「原因がわからずに会社が伸び悩んだことはありませんでした。会社を興して初めて減収減益だった13期も、あくまで新しい事業のための痛みの時期で、どう対応すればいいかわかっていました。常に不明瞭な箇所を作らずに、きちっとやっていけば、原因がわからずに伸び悩むことはありません」
井川幸広(人材会社「クリーク・アンド・リバー」社長)
「若いころは優秀だった人が、40代になってから伸び悩む。そんな事例を私はたくさんみてきました。少し厳しい言葉になりますが、どんなに優秀な人でも、チームマネジメントができなくては使いものにならなくなってしまうのです」
酒巻久(キヤノン電子社長)
「伸び悩んだり、才能の限界にぶつかったりしたとき、『もう駄目だ』と諦めるか、『どうすればこれを突破できるか』と考えるか。一流と二流は、まさにそこでわかれる気がします」
野村克也(プロ野球・捕手)
「満点は星空だけで十分や」
明石家さんま(成績が伸び悩んでいる小学生に対してかけた言葉)
略歴・経歴(プロフィール)
■明石家さんま(あかしや・さんま)
日本のお笑いタレント、司会者、俳優、歌手、ラジオパーソナリティー。落語家を志して2代目笑福亭松之助門下となったが、師匠命令でお笑いタレントに転向した。本名は杉本高文(すぎもと・たかふみ)。1955年7月1日和歌山県東牟婁郡古座町(現・東牟婁郡串本町)生まれ、奈良県奈良市育ち。奈良県立奈良商業高等学校卒業。吉本興業所属
月見草についての名言・語録2件
「王や長嶋がヒマワリなら、オレはひっそりと日本海に咲く月見草」
野村克也(プロ野球・捕手・監督)
「富士には、月見草がよく似合う」
太宰治(富嶽百景)
■野村克也(のむらかつや)経歴(プロフィール)
1935年生まれ。京都府出身。元プロ野球選手(捕手)・監督・野球解説者、野球評論家。高校卒業後、テスト生として南海ホークスに入団。戦後初の三冠王、8年連続のホームラン王に輝く。その後、ロッテオリオンズ、西武ライオンズでプレーし、引退後はヤクルトスワローズ、阪神タイガース、社会人野球のシダックス、東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を務めた
■太宰治(だざい・ おさむ)経歴(プロフィール)
【1909年~1948年】昭和を代表する日本の小説家。本名は津島修治(つしま・しゅうじ)。主な作品『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『斜陽』『人間失格』など。青森県生まれ
■月見草(つきみそう)
メキシコ原産で江戸時代に鑑賞用として渡来した。花期は6 - 9月ごろで、花は夕方の咲き始めは白色であるが、翌朝のしぼむ頃には薄いピンク色となる
花火についての語録4件
「人生は線香花火。待つときは、じっくり待つ。無理しすぎて、ポトっと落ちてしまえば、もう終わり」
作者不明
「みんなが爆弾なんかつくらないできれいな花火ばかりつくっていたらきっと戦争なんて起きなかったんだな」
山下清(画家)
「花火ってキレイね。ほんの一瞬だけキレイな花咲かせてあっという間に散ってしまう。まるで私ら人間みたいじゃないか」
『銀魂(ぎんたま)』
「夏の花火大会で、次々と打ちあがる花火に見とれてはいけません。ヒット商品を世に先駆けて送りたいなら、『綺麗だなぁ』と花火を鑑賞する人たちの『顔』のほうをよく観察すべきです。どんな花火に反応するのか、なぜあの花火は人々の印象に残っているのかと」
つんく♂(シンガーソングライター)
つんく♂略歴・経歴(プロフィール)
日本のシンガーソングライター、音楽プロデューサー、実業家。本名:寺田光男(てらだ・ みつお)。シャ乱Qのボーカルで、総合エンターテインメント事務所TNX(ティーエネックス)株式会社代表取締役社長。1968年10月29日 生まれ。大阪府東大阪市出身
認知症についての語録5件
「認知症予防とは、その対極にある『よく遊び、よく学ぶ』生き方を具現化することにあります。積極的に人生を楽しむ姿勢を持ち続けること・・・それが認知症への最大の防御となるのです」
広川慶裕(ひろかわクリニック院長)
「私は認知症予防医として数多くの認知症や認知症予備軍の患者さんを診療してきましたが、認知症とは『生活習慣病の終着駅』にある病気だと考えています」
広川慶裕(ひろかわクリニック院長)
「認知症というと遺伝的要因や偶発的要因から生じる『避けられない病』と思われがちですが、実は遺伝による発症は日本人の場合、1%程度に留まります。認知症のほとんどは、悪い生活習慣の積み重ねが要因となり、発症しているのが現実なのです」
広川慶裕(ひろかわクリニック院長)
「いま、東北大学の川島隆太先生と一緒に、学習療法が認知症にどう効果があるかを研究しています。患者さんたちにやっていただくのは、簡単な計算と音読です。周囲は見守りつつ、認めて、褒める。すると患者さんに変化が表れるのです。近くで患者さんをご覧になっているスタッフの方も、目を見張るようなケースが多いんです。こうした結果を受けて、導入を検討する施設も増えてきました」
角田秋生(公文教育研究会社長)
「若年性認知症は原因が多彩です。治療法も異なるので、きちんと見極めなくてはいけません」
新井平伊(精神科医。順天堂大学医学部教授)
新井平伊(あらい・へいい)略歴・経歴(プロフィール)
日本の医学者、精神科医。専門は老年精神医学。順天堂大学医学部教授。医学博士。1953年生まれ。1984年順天堂大学大学院修了(医学博士)。東京都精神医学総合研究所精神薬理部門主任研究員を経て、1990年順天堂大学医学部講師
老化についての語録7件
「生物的な『老化』は避けられない現象ですが、自ら新しいことを始めていれば精神的な『老い』は避けられる」
日野原重明(聖路加国際病院名誉院長)
「特に男性は社会との接点がなくなると老化が進むようだ」
塚田彊(朝日航洋 社長)
「人に見られることが老化防止につながるんだよ」
高須克弥(高須クリニック院長)
「肉体面、精神面のいずれかで昔より間口が狭くなったと感じたときが老化のはじまり」
岡本則一(安田生命保険社長)
「生き物も組織も絶対に老化する。成長と老化の曲線はきれいな放物線ではなくて、一気にピークまで来て、それから徐々に落ちていく」
宮坂学(ヤフー株式会社社長兼CEO)
「優れた指導者に共通しているのは、姿勢がよいこと、目がイキイキしていること、そして常に好奇心を持っていることです。姿勢が崩れ、仕事にも関心を示さなくなったら、老化は本物です」
後藤清一(三洋電機副社長)
「ぬるま湯につかり、老化のスイッチがオンになれば老いは一気に加速する。はじめから人生にリタイアを設定しない生き方のほうが賢明ではないでしょうか」
浅川有基(ワイ・ティ・ビィ社長)
日野原重明(ひのはら・しげあき)略歴・経歴(プロフィール)
日本の医師・医学博士で。聖路加国際病院理事長、同名誉院長、上智大学日本グリーフケア研究所名誉所長。1911年10月4日山口県山口市で生まれた